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想った事を徒然書いております。 サッカーだったり音楽だったり日常だったり
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04.30.03:10

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  • 04/30/03:10

04.02.23:49

考えてた

ずっと考えて。思った。



3月11日
仕事中だった。一瞬目眩かとも思ったよ。その前からずっと右の後頭部に痛みがはしって体調が酷かったので、アタシついにヤバくなったんかと。
だけど全然違って足下から、すべてが揺れてた。
確実にこれはヤバい。電話は繋がらない。テレビをつけると煙が上がった映像や津波警報の警告…バカなアタシでも判る状況。

東北大震災

多くの人の生活が一瞬にして奪われた。

今までの考えとは全く異なる事態。大混乱。不安。悲しみ。やりどころのみつからない怒り。

人は自分が不幸だとか今までの立場が不利になったりすると、そうなってしまった原因が自分でない場合
、どうしょうもない感情を、怒りの対象を、他に探してしまったりする類いがあったりします。(自分の勝手な考えですが…)
例えばというか、実際にですが、ガソリン不足の問題で。
ニュースでもありましたが、給油所に殺到してのトラブル。我々も出来る事なら満タンで給油をしたかったです。お客様の気持ちも十分わかります。ですが、店側に油が来ないのです。売るものがなければ経営は成り立ちません。ましてや、被災地への輸送優先で地場が全く間に合わない。緊急車両優先、不安からくる必要以上の買い占めによる給油。メーカーの事情というのもありました。
結局、うちの会社のスタンドは規制をかけての販売でも在庫がなくなり営業出来ず。全ての負の連鎖が起きていました。(現在は満タン給油にし、在庫が無くなり次第終了し入荷次第再開というスタイルにしています。対応が遅くなり、すいませんでした)

あー…愚痴っぽく聞こえたら申し訳ないです。

こんなお客様がいらっしゃいました。
「今10リッターで給油して、また後で来たら給油してくれるって事も出来るんでしょ?」
「満タンにしてよーいつも来てるんだからさー!!」
「被災地から来たんだから満タンにしろ!安くしろ!」
「仕事するなっていうのか!?なんかあったらおたくが保証してくれんの?」
ごく一部の方々だと思っています。

考えてください。もっとない状態の人達がいたんです。命がかかった人達がいたんです。ここにいる私達にはあるんです。
家も車も電気も食べ物も家族も大切な人達も。
それを考えたうえで、あんな言葉を言われたんでしょうか?

大変なのはわかります。
でもアタシには出来なかった、どうする事も出来なかった。自分の力じゃ何も出来なかった。こんなにも自分が無力だって、改めて思いしらされた。
こんな無力な自分だけれど、何か出来る事があるとしたら何があるだろう?って考えてた。
義援金、節電、正しい情報の収集、無駄な買い占め、極端な自粛…あとは何?そんな時、知ったアルビサポの震災ボランティアの会。
今は登録してあるけど、まだ参加が出来ていない。けれど都合が合えば参加すると決めてる。

笑顔にしたい。
今すぐにはなれないと思います。けど、これだけは想っててください。

ひとりじゃない。
諦めないでください。
信じてください。
皆が笑顔になるために、沢山の人達がいるんです。
元には戻れないかもしれない。
でもそれは終わりじゃない。
はじまりの合図です。新しい成長の合図。
泣きたい時には泣いてください。
怒りたい時には怒ってください。
楽しい時、嬉しい時には笑ってください。
人間ですから、みな考え方が違います。
話しましょう。一緒に話しましょう。沢山言葉を交わしましょう。
共に成長しましょう。

アタシにはこんな事しか言えないし書けない。けど、出来る事を考えたら、こうやって此処から想いを伝えたかった。
あとは行動。

さぁ、はじまりの合図です。

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生きてます

俺も仕事中でした。ちょうど午後から荷物を卸して会社に帰る途中に被災。幸い無事に会社まで帰る事ができましたが。

俺の家は沿岸より山ひとつ隔てたところで、津波は大丈夫でした。家の中も大した被害は無く家族も無事でした。でも、妻の親戚は沿岸部…。電話も通じず電気、水道もだめ。情報はなんとか携帯ラジオと会社に帰る途中でナビのテレビで仕入れた情報のみの生活でした。

1週間ライフラインが閉ざされた生活。夜はガーデニング用のソーラーライトやキャンプ用のランタンを灯し、石油ストーブで暖を取り。まだプロパンだからコンロは使えたので近所の仲良し家族で生活してたよ。
ガソリンも半分くらいあったから何とか給水にも行くことができた。

それから2日後、おじさんとおばさんと孫が遺体で見つかった。沿岸部はほとんど壊滅。避難所にいるいとこ達に物資を運んだ時、初めて自分の目でその惨状を見た。

ただただ、絶句。

いとこの息子は小学校の屋上に逃げて助かったけど、幼稚園の娘と迎えに行ったおじさんおばさんが津波の犠牲になった。遺体安置所に行ってきたけど、次から次に運ばれてくる現状。

でも隣の福島はもっと大変だろう。原発の避難指示より関東に避難している人達。風評被害。

それでも生きている。俺はまだまだ恵まれている。できる事から少しずつ。
仕事も始まった。また、荷物を運ぶよ。

  • 2011年04月15日金
  • ますのすけ
  • 編集
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